2015年02月25日
星来がいない
翌日、星来は大学を休んだ。
連絡をしてみると、しばらく休むとのこと。
火梛も 姿を見せない。
何してるんだろう升降桌。
我が家には 平穏な日々が戻ってきたが、世間では大騒ぎだった。
二人と会えない日々の間にも コメダワラ事件は続いていたのだ。
あの料亭飯綱瑞祥庵が つぶれそうになっていた。
産地直送と謳っていた食材は、普通の市場から値切って仕入れたものだった。
最高級梅竹牛肉も、
余波(なごろ)地鶏も、
印旛湖(いんばこ)豚も嘘だった。
魚介類にいたっては大嘘だった。
やっぱりそうだったのか というしかない。
仕入れ伝票やらなんやらの証拠が、
流通監視委員会に コメダワラ作品の切れ端と共に送られてきたらしい。
報道各社にも写しが届いた升降桌。
老舗で腕を認められたという板前さんも、
実は三日で辞めていた という事実が添えられていた。
さらには 人気作曲家コモドオオトカゲの家に泥棒が入った、
というニュースが流れたが、
後日、この事件もコメダワラ事件と発覚した。
現場に コメダワラの切れ端が残されていたのだ。
作曲用の電子頭脳作業配列設計が、
保存領域ごと消えていた ということらしい。
この事件が大醜聞になった如新nuskin產品。
それは、一昨年亡くなった音楽好きの いかれた科学者、
下北沢博士が 趣味で作ったものだとバレタのだ。
発表前に博士が急死したのをいい事に、
試作品を手に入れていたコモドオオトカゲが、知らんぷりで使っていたのだ。
音楽科の連中の間では、
彼の曲は怪しい、よく出来ているが機械的な匂いがする、
と以前から噂になってはいたらしい。
ちなみに 下北沢博士の死因は事故死。
時空移動機の実験中に、事故を起こしての爆死だったという。
星来がいない。
ましてや火梛もいない私の生活って、なんて地味なんだろう。
近所のいじめっ子に説教したり、
隣町から出張ってきた不良集団を潰すくらいしか 楽しみが無い。
そんな事を思いながら 日々を送っていたある日。
その日は 一日中一般教養ばかりだった。
よく分からない授業内容との不利な戦いに敗戦を喫しつつ、
やがて 力点が睡魔との闘いに移行して康泰領隊、
これにも敗色の色が濃くなったと思われたとき、
後ろから ぽんと背中を叩かれた。
「では、今日はここまで」という先生の声と、
一斉に立ち上がるバタバタとした音に囲まれて、戦いが終わったことを知った。
振り向くと 星来がいた。
連絡をしてみると、しばらく休むとのこと。
火梛も 姿を見せない。
何してるんだろう升降桌。
我が家には 平穏な日々が戻ってきたが、世間では大騒ぎだった。
二人と会えない日々の間にも コメダワラ事件は続いていたのだ。
あの料亭飯綱瑞祥庵が つぶれそうになっていた。
産地直送と謳っていた食材は、普通の市場から値切って仕入れたものだった。
最高級梅竹牛肉も、
余波(なごろ)地鶏も、
印旛湖(いんばこ)豚も嘘だった。
魚介類にいたっては大嘘だった。
やっぱりそうだったのか というしかない。
仕入れ伝票やらなんやらの証拠が、
流通監視委員会に コメダワラ作品の切れ端と共に送られてきたらしい。
報道各社にも写しが届いた升降桌。
老舗で腕を認められたという板前さんも、
実は三日で辞めていた という事実が添えられていた。
さらには 人気作曲家コモドオオトカゲの家に泥棒が入った、
というニュースが流れたが、
後日、この事件もコメダワラ事件と発覚した。
現場に コメダワラの切れ端が残されていたのだ。
作曲用の電子頭脳作業配列設計が、
保存領域ごと消えていた ということらしい。
この事件が大醜聞になった如新nuskin產品。
それは、一昨年亡くなった音楽好きの いかれた科学者、
下北沢博士が 趣味で作ったものだとバレタのだ。
発表前に博士が急死したのをいい事に、
試作品を手に入れていたコモドオオトカゲが、知らんぷりで使っていたのだ。
音楽科の連中の間では、
彼の曲は怪しい、よく出来ているが機械的な匂いがする、
と以前から噂になってはいたらしい。
ちなみに 下北沢博士の死因は事故死。
時空移動機の実験中に、事故を起こしての爆死だったという。
星来がいない。
ましてや火梛もいない私の生活って、なんて地味なんだろう。
近所のいじめっ子に説教したり、
隣町から出張ってきた不良集団を潰すくらいしか 楽しみが無い。
そんな事を思いながら 日々を送っていたある日。
その日は 一日中一般教養ばかりだった。
よく分からない授業内容との不利な戦いに敗戦を喫しつつ、
やがて 力点が睡魔との闘いに移行して康泰領隊、
これにも敗色の色が濃くなったと思われたとき、
後ろから ぽんと背中を叩かれた。
「では、今日はここまで」という先生の声と、
一斉に立ち上がるバタバタとした音に囲まれて、戦いが終わったことを知った。
振り向くと 星来がいた。
2015年02月09日
というわけである
ブログは「ウェブログ」の略でウェブ上の記録という意味であるらしい德善。
昨今では日記のような形で書く方も多く、更新の頻度が高いほど読者も多く「優等生」ということになろう。
FC2のブログは一ヶ月間更新しないと自動的にスポンサー広告が立ち上がって注意勧告をしてくれる仕組みだ。
「君、そろそろ更新しなくていいのかい?」
というわけである。
仕事が多忙で更新をできずにいたら「注意」されてしまった收毛孔。
「そろそろ宿題やらないと夏休みが終わっちゃうよ」
というのに似ている(似てないか・・)
このブログは日記というよりはエッセイの色合いが濃いためそれなりに考えて書くので、ネタがないとついつい更新頻度が下がってしまう、言ってみれば僕はかぎりなく「劣等生」ということになる。
スポンサー広告を見ていると背中に「劣等生」という貼り紙をされている気分になってきた。見に来てくださった方々に貼り紙を見られるのはちょっぴり恥ずかしくなり「劣等生」はようやく机に向かった。
小学校1・2年生の時である。
僕は担任のM先生がとても好きだった。
年齢は今思えば50歳前後だったろうか・・
優しくてユーモアもあり、今でも忘れがたい先生の一人だ。
M先生は普段は優しいのだが、悪いことをしたときは当然のごとく厳しい德善。
その中でも忘れられないのは「破門」であった。
僕のクラスは「1年1組」であった。
そして、1組にはM先生の作ったいくつかの「おきて」があり、これを破ると先生から「罰」が下された。
その中で一番重いのがこの「破門」だ。
例えば、誰かをいじめて謝りもしないなどという場合
M先生の手作りの大きな「破門札」が首からかけられる。
これは画用紙を2枚、お腹と背中に垂れるよう二本のひもで結ばれ、首からかけるようになっている。
例えれば・・ちんどん屋の「看板」
例えれば・・スポーツのチーム分けに使う「ビブス」
それでもイメージがわかない人には首からかぶる両面サイドの「ゼッケン」
そしてそこにはこう書かれているのである。
「わたしはわるいことして1くみをはもんになりました」
そしてM先生は給食の時間にその「罪人」を教室から追い出してしまう。
クラスを追い出された「罪人」は隣の2組へ入って行き2組で給食を食べさせてもらうのだ。
もちろん男女の区別はない。
「贖罪」を終えた「罪人」は給食のあと、M先生の元へやってきて謝ったのちにようやく許されて1組へと復帰できるのだ。
僕はM先生が大好きだったので絶対に「破門」されないよう心掛けたものだ。
さて、読まれてどう感じたであろうか?
若い世代の方なら
「虐待だ!」
と感じる人も多いと思うし、今の時代に同じことをすればまず100%親から訴えられ、先生は良くて減給、下手すれば懲戒免職だ。
校長先生は謝罪会見で頭を下げ、教育評論家は「人権を何だと思っている!」と息巻くであろう。
でも、僕には、そしてあの時代では、全くもって何事もないあたりまえの「教育」だったのだ。
僕の考える学校内、もしくは教室内での良い「パワーバランス」は
大人 7 : 3 子供
である。
例えば戦時中や軍国教育の下では
大人(教師) 10 : 0 子供(生徒) となる。
生徒は教師に何も言えない。
これはまさにフッショであり間違いである。
逆に現代の教室現場では教師と生徒のパワーバランスがイーブンくらいになっているのではないか。いや、五分五分どころか、先生がわずかでも生徒の体に触れれば「体罰」と訴えられ、モンスターペアレントは教育委員会に駆けこむなどむしろ生徒の方が力を持っている嫌いがある。
生徒の人権が守られることは全く持って正しく良いことではあるが、教室の中での先生は「力強い」存在であってほしい。少なくとも生徒が悪いことをした時に何かを恐れてビクビクしながら叱らなくてはならない学校はどこか歪んでいると感じる。
M先生の1年1組は「7:3」だった。
先生の「破門」は僕には強烈な「抑止力」になっていたし、それでいてM先生は絶対君主ではなく生徒の話や言い分を聞いてくれた。
教室には善悪を問わず「おきて」が存在し、悪に転べばそこには紛れもない「罰」があった。
悪いことをして「破門」されても、誰も先生を恨まなかったし、クラスの誰もがM先生のことが好きだった。
小学校1年生だからと言われればそれまでだが、僕にはこの「秩序」が心地よかった。
僕は15年前に中学校の先生を辞めたのだが、その当時でも学校は息苦しかった。
勉強を教えることの何倍もの力を「余計な」ことに注いでいた。
それに耐えられず、僕は挫折したのだと思う。
きっと今の教育現場はあの時以上に息苦しいに違いない。
先生が「のびのびと」教えることが難しい時代になってしまった。
昨今では日記のような形で書く方も多く、更新の頻度が高いほど読者も多く「優等生」ということになろう。
FC2のブログは一ヶ月間更新しないと自動的にスポンサー広告が立ち上がって注意勧告をしてくれる仕組みだ。
「君、そろそろ更新しなくていいのかい?」
というわけである。
仕事が多忙で更新をできずにいたら「注意」されてしまった收毛孔。
「そろそろ宿題やらないと夏休みが終わっちゃうよ」
というのに似ている(似てないか・・)
このブログは日記というよりはエッセイの色合いが濃いためそれなりに考えて書くので、ネタがないとついつい更新頻度が下がってしまう、言ってみれば僕はかぎりなく「劣等生」ということになる。
スポンサー広告を見ていると背中に「劣等生」という貼り紙をされている気分になってきた。見に来てくださった方々に貼り紙を見られるのはちょっぴり恥ずかしくなり「劣等生」はようやく机に向かった。
小学校1・2年生の時である。
僕は担任のM先生がとても好きだった。
年齢は今思えば50歳前後だったろうか・・
優しくてユーモアもあり、今でも忘れがたい先生の一人だ。
M先生は普段は優しいのだが、悪いことをしたときは当然のごとく厳しい德善。
その中でも忘れられないのは「破門」であった。
僕のクラスは「1年1組」であった。
そして、1組にはM先生の作ったいくつかの「おきて」があり、これを破ると先生から「罰」が下された。
その中で一番重いのがこの「破門」だ。
例えば、誰かをいじめて謝りもしないなどという場合
M先生の手作りの大きな「破門札」が首からかけられる。
これは画用紙を2枚、お腹と背中に垂れるよう二本のひもで結ばれ、首からかけるようになっている。
例えれば・・ちんどん屋の「看板」
例えれば・・スポーツのチーム分けに使う「ビブス」
それでもイメージがわかない人には首からかぶる両面サイドの「ゼッケン」
そしてそこにはこう書かれているのである。
「わたしはわるいことして1くみをはもんになりました」
そしてM先生は給食の時間にその「罪人」を教室から追い出してしまう。
クラスを追い出された「罪人」は隣の2組へ入って行き2組で給食を食べさせてもらうのだ。
もちろん男女の区別はない。
「贖罪」を終えた「罪人」は給食のあと、M先生の元へやってきて謝ったのちにようやく許されて1組へと復帰できるのだ。
僕はM先生が大好きだったので絶対に「破門」されないよう心掛けたものだ。
さて、読まれてどう感じたであろうか?
若い世代の方なら
「虐待だ!」
と感じる人も多いと思うし、今の時代に同じことをすればまず100%親から訴えられ、先生は良くて減給、下手すれば懲戒免職だ。
校長先生は謝罪会見で頭を下げ、教育評論家は「人権を何だと思っている!」と息巻くであろう。
でも、僕には、そしてあの時代では、全くもって何事もないあたりまえの「教育」だったのだ。
僕の考える学校内、もしくは教室内での良い「パワーバランス」は
大人 7 : 3 子供
である。
例えば戦時中や軍国教育の下では
大人(教師) 10 : 0 子供(生徒) となる。
生徒は教師に何も言えない。
これはまさにフッショであり間違いである。
逆に現代の教室現場では教師と生徒のパワーバランスがイーブンくらいになっているのではないか。いや、五分五分どころか、先生がわずかでも生徒の体に触れれば「体罰」と訴えられ、モンスターペアレントは教育委員会に駆けこむなどむしろ生徒の方が力を持っている嫌いがある。
生徒の人権が守られることは全く持って正しく良いことではあるが、教室の中での先生は「力強い」存在であってほしい。少なくとも生徒が悪いことをした時に何かを恐れてビクビクしながら叱らなくてはならない学校はどこか歪んでいると感じる。
M先生の1年1組は「7:3」だった。
先生の「破門」は僕には強烈な「抑止力」になっていたし、それでいてM先生は絶対君主ではなく生徒の話や言い分を聞いてくれた。
教室には善悪を問わず「おきて」が存在し、悪に転べばそこには紛れもない「罰」があった。
悪いことをして「破門」されても、誰も先生を恨まなかったし、クラスの誰もがM先生のことが好きだった。
小学校1年生だからと言われればそれまでだが、僕にはこの「秩序」が心地よかった。
僕は15年前に中学校の先生を辞めたのだが、その当時でも学校は息苦しかった。
勉強を教えることの何倍もの力を「余計な」ことに注いでいた。
それに耐えられず、僕は挫折したのだと思う。
きっと今の教育現場はあの時以上に息苦しいに違いない。
先生が「のびのびと」教えることが難しい時代になってしまった。
Posted by hetinese at
18:01
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