2015年02月09日
というわけである
ブログは「ウェブログ」の略でウェブ上の記録という意味であるらしい德善。
昨今では日記のような形で書く方も多く、更新の頻度が高いほど読者も多く「優等生」ということになろう。
FC2のブログは一ヶ月間更新しないと自動的にスポンサー広告が立ち上がって注意勧告をしてくれる仕組みだ。
「君、そろそろ更新しなくていいのかい?」
というわけである。
仕事が多忙で更新をできずにいたら「注意」されてしまった收毛孔。
「そろそろ宿題やらないと夏休みが終わっちゃうよ」
というのに似ている(似てないか・・)
このブログは日記というよりはエッセイの色合いが濃いためそれなりに考えて書くので、ネタがないとついつい更新頻度が下がってしまう、言ってみれば僕はかぎりなく「劣等生」ということになる。
スポンサー広告を見ていると背中に「劣等生」という貼り紙をされている気分になってきた。見に来てくださった方々に貼り紙を見られるのはちょっぴり恥ずかしくなり「劣等生」はようやく机に向かった。
小学校1・2年生の時である。
僕は担任のM先生がとても好きだった。
年齢は今思えば50歳前後だったろうか・・
優しくてユーモアもあり、今でも忘れがたい先生の一人だ。
M先生は普段は優しいのだが、悪いことをしたときは当然のごとく厳しい德善。
その中でも忘れられないのは「破門」であった。
僕のクラスは「1年1組」であった。
そして、1組にはM先生の作ったいくつかの「おきて」があり、これを破ると先生から「罰」が下された。
その中で一番重いのがこの「破門」だ。
例えば、誰かをいじめて謝りもしないなどという場合
M先生の手作りの大きな「破門札」が首からかけられる。
これは画用紙を2枚、お腹と背中に垂れるよう二本のひもで結ばれ、首からかけるようになっている。
例えれば・・ちんどん屋の「看板」
例えれば・・スポーツのチーム分けに使う「ビブス」
それでもイメージがわかない人には首からかぶる両面サイドの「ゼッケン」
そしてそこにはこう書かれているのである。
「わたしはわるいことして1くみをはもんになりました」
そしてM先生は給食の時間にその「罪人」を教室から追い出してしまう。
クラスを追い出された「罪人」は隣の2組へ入って行き2組で給食を食べさせてもらうのだ。
もちろん男女の区別はない。
「贖罪」を終えた「罪人」は給食のあと、M先生の元へやってきて謝ったのちにようやく許されて1組へと復帰できるのだ。
僕はM先生が大好きだったので絶対に「破門」されないよう心掛けたものだ。
さて、読まれてどう感じたであろうか?
若い世代の方なら
「虐待だ!」
と感じる人も多いと思うし、今の時代に同じことをすればまず100%親から訴えられ、先生は良くて減給、下手すれば懲戒免職だ。
校長先生は謝罪会見で頭を下げ、教育評論家は「人権を何だと思っている!」と息巻くであろう。
でも、僕には、そしてあの時代では、全くもって何事もないあたりまえの「教育」だったのだ。
僕の考える学校内、もしくは教室内での良い「パワーバランス」は
大人 7 : 3 子供
である。
例えば戦時中や軍国教育の下では
大人(教師) 10 : 0 子供(生徒) となる。
生徒は教師に何も言えない。
これはまさにフッショであり間違いである。
逆に現代の教室現場では教師と生徒のパワーバランスがイーブンくらいになっているのではないか。いや、五分五分どころか、先生がわずかでも生徒の体に触れれば「体罰」と訴えられ、モンスターペアレントは教育委員会に駆けこむなどむしろ生徒の方が力を持っている嫌いがある。
生徒の人権が守られることは全く持って正しく良いことではあるが、教室の中での先生は「力強い」存在であってほしい。少なくとも生徒が悪いことをした時に何かを恐れてビクビクしながら叱らなくてはならない学校はどこか歪んでいると感じる。
M先生の1年1組は「7:3」だった。
先生の「破門」は僕には強烈な「抑止力」になっていたし、それでいてM先生は絶対君主ではなく生徒の話や言い分を聞いてくれた。
教室には善悪を問わず「おきて」が存在し、悪に転べばそこには紛れもない「罰」があった。
悪いことをして「破門」されても、誰も先生を恨まなかったし、クラスの誰もがM先生のことが好きだった。
小学校1年生だからと言われればそれまでだが、僕にはこの「秩序」が心地よかった。
僕は15年前に中学校の先生を辞めたのだが、その当時でも学校は息苦しかった。
勉強を教えることの何倍もの力を「余計な」ことに注いでいた。
それに耐えられず、僕は挫折したのだと思う。
きっと今の教育現場はあの時以上に息苦しいに違いない。
先生が「のびのびと」教えることが難しい時代になってしまった。
昨今では日記のような形で書く方も多く、更新の頻度が高いほど読者も多く「優等生」ということになろう。
FC2のブログは一ヶ月間更新しないと自動的にスポンサー広告が立ち上がって注意勧告をしてくれる仕組みだ。
「君、そろそろ更新しなくていいのかい?」
というわけである。
仕事が多忙で更新をできずにいたら「注意」されてしまった收毛孔。
「そろそろ宿題やらないと夏休みが終わっちゃうよ」
というのに似ている(似てないか・・)
このブログは日記というよりはエッセイの色合いが濃いためそれなりに考えて書くので、ネタがないとついつい更新頻度が下がってしまう、言ってみれば僕はかぎりなく「劣等生」ということになる。
スポンサー広告を見ていると背中に「劣等生」という貼り紙をされている気分になってきた。見に来てくださった方々に貼り紙を見られるのはちょっぴり恥ずかしくなり「劣等生」はようやく机に向かった。
小学校1・2年生の時である。
僕は担任のM先生がとても好きだった。
年齢は今思えば50歳前後だったろうか・・
優しくてユーモアもあり、今でも忘れがたい先生の一人だ。
M先生は普段は優しいのだが、悪いことをしたときは当然のごとく厳しい德善。
その中でも忘れられないのは「破門」であった。
僕のクラスは「1年1組」であった。
そして、1組にはM先生の作ったいくつかの「おきて」があり、これを破ると先生から「罰」が下された。
その中で一番重いのがこの「破門」だ。
例えば、誰かをいじめて謝りもしないなどという場合
M先生の手作りの大きな「破門札」が首からかけられる。
これは画用紙を2枚、お腹と背中に垂れるよう二本のひもで結ばれ、首からかけるようになっている。
例えれば・・ちんどん屋の「看板」
例えれば・・スポーツのチーム分けに使う「ビブス」
それでもイメージがわかない人には首からかぶる両面サイドの「ゼッケン」
そしてそこにはこう書かれているのである。
「わたしはわるいことして1くみをはもんになりました」
そしてM先生は給食の時間にその「罪人」を教室から追い出してしまう。
クラスを追い出された「罪人」は隣の2組へ入って行き2組で給食を食べさせてもらうのだ。
もちろん男女の区別はない。
「贖罪」を終えた「罪人」は給食のあと、M先生の元へやってきて謝ったのちにようやく許されて1組へと復帰できるのだ。
僕はM先生が大好きだったので絶対に「破門」されないよう心掛けたものだ。
さて、読まれてどう感じたであろうか?
若い世代の方なら
「虐待だ!」
と感じる人も多いと思うし、今の時代に同じことをすればまず100%親から訴えられ、先生は良くて減給、下手すれば懲戒免職だ。
校長先生は謝罪会見で頭を下げ、教育評論家は「人権を何だと思っている!」と息巻くであろう。
でも、僕には、そしてあの時代では、全くもって何事もないあたりまえの「教育」だったのだ。
僕の考える学校内、もしくは教室内での良い「パワーバランス」は
大人 7 : 3 子供
である。
例えば戦時中や軍国教育の下では
大人(教師) 10 : 0 子供(生徒) となる。
生徒は教師に何も言えない。
これはまさにフッショであり間違いである。
逆に現代の教室現場では教師と生徒のパワーバランスがイーブンくらいになっているのではないか。いや、五分五分どころか、先生がわずかでも生徒の体に触れれば「体罰」と訴えられ、モンスターペアレントは教育委員会に駆けこむなどむしろ生徒の方が力を持っている嫌いがある。
生徒の人権が守られることは全く持って正しく良いことではあるが、教室の中での先生は「力強い」存在であってほしい。少なくとも生徒が悪いことをした時に何かを恐れてビクビクしながら叱らなくてはならない学校はどこか歪んでいると感じる。
M先生の1年1組は「7:3」だった。
先生の「破門」は僕には強烈な「抑止力」になっていたし、それでいてM先生は絶対君主ではなく生徒の話や言い分を聞いてくれた。
教室には善悪を問わず「おきて」が存在し、悪に転べばそこには紛れもない「罰」があった。
悪いことをして「破門」されても、誰も先生を恨まなかったし、クラスの誰もがM先生のことが好きだった。
小学校1年生だからと言われればそれまでだが、僕にはこの「秩序」が心地よかった。
僕は15年前に中学校の先生を辞めたのだが、その当時でも学校は息苦しかった。
勉強を教えることの何倍もの力を「余計な」ことに注いでいた。
それに耐えられず、僕は挫折したのだと思う。
きっと今の教育現場はあの時以上に息苦しいに違いない。
先生が「のびのびと」教えることが難しい時代になってしまった。
Posted by hetinese at 18:01│Comments(0)