2014年06月26日
私はあなた
告別去ってゆく年余りの时间には、なぜか君から水辺私を暴くがでてきます。私は私のカタツムリ小屋に引っ込ん久しぶりだ、お前の声にあなたを見ると、すぐに近いですね。でもあなたのいくつかの言葉を使い如新集團、は深く刺す悲哀の心である。つもりやって壹生その人に吊いをして、来る祭事あの血まみれの清纯。夜明けでもあなたの段の段の変化にもかかわらず、依然として私动悸を続けてきた。
今、あなたは私に来てと別れを告げたでしょう?キミを恐れられていたのだろうか。现実に覆われたあなたですが、逃げない他界したのは噂話をしなければならない。あなたの唇から白く、あなたの中心から退ペッ、あなたから逃れている。私はあなたを伤つけ(损ね)てたくないんです。でも、譲り渡すことは伤つけ(损ね)て歌っているのは僕には理解できない。あなたの取舍选択。あなたを切り取り、特定の位置を始めたことで、あなたは感情を細くしようとの間を比較し難いとを固めようとしている。
私知ったことだが、私はただあなたの花前月下壱糊」影、それでは分は晃然よね。あなたが间に合わないとわかってればが収まった。はどうだろうか。私はついには病気をした壱試合、昔の記憶にはっきりとした足どりで漠然とし追って又がゆく。と私のが再びなどと連携して、ただあなたの内心空虚なと思っていた。あなたの執念はあなた真情の横流しおかしかったのは中一收生、あなたの情痴あなた行為の麦藁酔った。
これがなんと、こ之は全部あなたが念入りに編み物の嘘を知り、お前壱路右肩上がりに挟まれていて、気分は上海の場所でもある。も知っていた。そのの薄暗い照明に頻発した汝蝶のように動き回っていた姿と肩に棲息している。私はただ黙ってで、遠くの駅が一绪に、自分を見守っていないことになっているチャンスをつかんだ。
では忘れてしまいました。あなたでしょう!私は髪が散らばって下りてきて、壱切り続けて、切った絆も、お互いの連絡を切った。青丝仄かなは地の时に、私はあなたの目の中の絶望を感じることができます。
运命を並行しなければならない。あなたはあの楽しい、忘れられない思い出收藏を持って、私はあなたに陥って厳しい局面にだった。無数の夜、私は数著星不眠の夜、かつてのよしみはすでに风雨の流れに次第、乱花が埋葬された。私はとっくに流入尘俗あ然とし、太い衣麻布の上には、材料は同年の華やかだ康泰導遊。
あなたどのように寻されずにいるだろうか。あなたはわざわざ来る寻?爱し爱される距離一体また一穂遠かったか。あなたは、私には縁があるに対して無得点したにもかかわらず、歩いていた壱生壱世だった。またお会いしましょう。私の爱は、わたし二度とあかいつも心であったとしても、あかに違いない。
今の私たちのようにわかれているけし交わる线が平行线よりほかに、再会する可能性がある。さようなら、私の爱です。あなたが続いていあなたの素晴らしい生活を持って、私たちも私のカタツムリの家に海外婚禮、引き続き平板な生活を暮らしました。
2014年06月18日
扉が開いた長友選手は
次の扉はどこにあるか孔聖堂中學好唔好
サッカーのワールドカップが始まった。
ブラジルとは12時間ほどの時差があるのかな。朝起きの時間が乱されそうだ。ボールの行方を追ってるうちに、こっちが時差ボケになってしまうかもしれない。
あるネットニュースの記事に、日本選手のふたりの会話がピックアップされて載っていた。
長友「オレ、次の扉、開いたわ」
本田「オレ、目の前の扉で格闘しているわ」孔聖堂中學中六
イタリアのチームで活躍しているふたりは、住んでるところも近くで一緒に食事をしたりもするらしい。だから、これだけの会話でも通じるものがあるのだろうか。開いたり閉じたりする、どんな扉があるのだろうか。
扉が開いた長友選手は、まっしぐらにネットに向かって走り込むのだろうか。目の前の扉と格闘している本田選手は、厳しいプレッシャーを受けながらボールの出しどころを探しているのだろうか。
高校の時の体育の時間はいつもサッカーだった同珍王賜豪。
クラスの生徒をふたつに分けて、ひたすらボールの追いかけっこをさせる。教師はただ見てるだけ。これは教師の手抜き授業ではないかと思ったから、ぼくはあまり真剣にはやらなかった。だから扉が開くこともなかった。
そのことを、いまになって後悔している。もっと真剣にボールを追っかけて、もっと真剣に扉をノックすればよかったのだろうか。
もう、次の扉があるかどうかも分からないし、やっぱサッカーは同珍王賜豪……
「オレ、見るだけにするわ」。
サッカーのワールドカップが始まった。
ブラジルとは12時間ほどの時差があるのかな。朝起きの時間が乱されそうだ。ボールの行方を追ってるうちに、こっちが時差ボケになってしまうかもしれない。
あるネットニュースの記事に、日本選手のふたりの会話がピックアップされて載っていた。
長友「オレ、次の扉、開いたわ」
本田「オレ、目の前の扉で格闘しているわ」孔聖堂中學中六
イタリアのチームで活躍しているふたりは、住んでるところも近くで一緒に食事をしたりもするらしい。だから、これだけの会話でも通じるものがあるのだろうか。開いたり閉じたりする、どんな扉があるのだろうか。
扉が開いた長友選手は、まっしぐらにネットに向かって走り込むのだろうか。目の前の扉と格闘している本田選手は、厳しいプレッシャーを受けながらボールの出しどころを探しているのだろうか。
高校の時の体育の時間はいつもサッカーだった同珍王賜豪。
クラスの生徒をふたつに分けて、ひたすらボールの追いかけっこをさせる。教師はただ見てるだけ。これは教師の手抜き授業ではないかと思ったから、ぼくはあまり真剣にはやらなかった。だから扉が開くこともなかった。
そのことを、いまになって後悔している。もっと真剣にボールを追っかけて、もっと真剣に扉をノックすればよかったのだろうか。
もう、次の扉があるかどうかも分からないし、やっぱサッカーは同珍王賜豪……
「オレ、見るだけにするわ」。
2014年06月10日
そしてさらに
とても素敵なものをいただいた。
リモージュ焼きの陶磁器。
味わい深いアンティークである。
わっと思った。如新香港
なんでわたしの好みがわかったんだろう?
もしわたしが骨董市で見つけたら、いの一番に買っていただろう。
3年前、初めて単独でパリに行ったとき、
何箇所かの骨董市で、数回にわたり、4つの品々を買った。
本の骨董市では、かわいい70年ぐらい前の、レース模様のポストカードも手に入れた。
若い女性が、当時、お友達に送った葉書だった。
ぼってり厚みのある、スペイン風の、黄色い地模様に赤い取っ手のティーカップ。
ソーサーなしで、4個。
金属で作られた、ショッピングバッグを持った女性の立体オブジェ。
金属のガラクタをうまく利用して作られた、オールドクラッシックカーの額面オブジェ。
「リモージュ焼き」とどこにも描かれていない、無名の、やたら高かった「アラジンのランプ」みたいな形の陶磁器。
(あれは、ぼられた感がある・・・)
ひとつひとつの値段の格差は、大きかった。如新nuskin產品
骨董市はクレジットカードでは払えないので、近くに設置されているATMでキャッシングした。
重量と値段はまったく比例していない。
カップはひとつ200円ぐらいだったが、4つもあるので、けっこう重かった。
2つのオブジェはどう見てもスーツケースに入れると壊れるし、国際宅急便で送るにも、箱の手配や梱包が微妙だし。
で、手荷物で持ち帰った。
そしてさらに、アンティークではないが、
帰国前々日に、パリ最古のデパートで見かけた、ゴージャスな花嫁姿のバービー人形もとても欲しかったのだが、
手荷物で持てる範囲のことを考えると断念せざるを得なかった。
ひとりパリ二回目、昨年は、買い物の内容が、ぐっと現実的になった。
たまたま通りかかった教会のチャリティバザーで見つけた、スプリングコート(フランス既製品)。
帰りの飛行機の中で、頭上の機内手荷物入れに入れていたら、
上から、めちゃくちゃ重いバッゲージを乗せられ、もののみごとにぺっちゃんこ。
下に何があるか、ちょっとは考えて、荷物を入れて欲しい・・・。
しかしながら、シワには耐えるということが実証され、かえって重宝している。
旅行中も、帰国後も、ばりばり現役で役立っている。
(とはいうものの、はっきり言って、完全に流行おくれ)如新香港
同じバザーで見つけた、一枚でよかったのだが、6枚でも同じ値段にするからと勧められ、6枚買った、
直径30センチのゴールドの大皿(おそらくプラスチック製)。
出歩き先で買ったので、アパルトマンに持ち帰るのに、最初はどおってことなかったが、徐々に重くなった。
日本へは宅急便にしようと手配したら、サイズ的に入らず、しかたなく買った時のバザーの紙袋のまま、手荷物で持ち帰った。
6枚ものゴールドの大皿、自宅で晩餐会でもするつもりか?
我が家のキッチンにある最下段の食器棚の中で、
毎晩、田舎ねずみと、町ねずみたちが寄り集まって、晩餐会が行われている?
今回、いただいたリモージュ焼きの陶磁器も含め、
わたしのアタマでは、いくつもの舞踏会やらパーティやら、宮中晩餐会や、園遊会が行われている。
映像、音楽まで、ついでにコラボして。
残念ながら、わたしは出てこないんだけど。
まあ、見るだけでも楽しいシーンの数々。(見るといっても、脳内スクリーン)
わたしは、ぜったいに一人遊びができる、と断言できる。
ただ、現実的に、いろいろ無くしたり、もの忘れしたりするので、発言に気をつけないと、
ほんとうにアタマ、大丈夫?と心配されそうだ。
「現実と空想の区別がついていませんね」と、脳神経科の先生に、しぶ~い顔をして診断されそうだ。
・・・
旅先で買ったグッズたちも、雄弁に語りかけてくれる。
晩年の孤独なわたしの時間を癒してくれそうだ。
(今は、ベビーに、これはね・・・、あれはね・・・、と説明しているが、
ベビーはだんだん、見たり聞いたり説明はどうでもよくなって、ベビーを脱却し、
触る、引っ張る、投げつける、引きずる、踏む、壊す、の方向に進んで行っている)
この壊し屋ベビーと、うっとりお目目のわたしとの共存共栄は、もはやありえなく、
ま逆方向にベクトルは向いている。
優雅な空間など、とんでもなく、如新香港
掛け軸、置物、観賞用植物、花、オブジェ、その他すべて、
一切合財の装飾系備品は、撤去。
お気に入りの和紙張りの、床の間サイドの開口部も、
段差を利用し、ギャングの足踏み昇降台と化し、和紙の継ぎ目が、めくれかかっている。
べりりと剥がれる日も近そうだ。
そこが剥がれると、他の床の間全体の壁も、同じ和紙で施工されているので、
全部、取替えということになる・・・・・。
あきらめが、かんじんか。
いやはや、まだあきらめきれない。
孫守のあと、リフォームすればいい、と、人は簡単に言うが。
わたしは、モノや設えに、愛着とこだわりを持っているのだ。
しかしながら、それは果たせないとなると、
自宅は、まったく何も置かない、たんなる生活空間にして、
(あるいは、ぐちゃぐちゃ生活感あふれるカオス空間)
好みのものを美術館や博物館、建造物で、たっぷり見るという方法もありだ。
美の感覚を満たしてくれる空間に、じっと身を置き、アタマとこころに美をチャージするか。
少なくとも、フランクフルトにある素晴らしいゲーテ(詩人)邸を見学した時のような、
最初から最後まで駆け足、というような見方は非常に残念極まりない。
一生で、もう二度と訪れる機会はないと思われる、貴重な当時のままの邸宅なのに、
これまたショップでダッシュ購入したポストカードを見て、あとで思い出す、なんて、わびしすぎる。
・・・
モノと、こころ。わたし、モノ・フェチなんだろうか。
モノだけではない。
癒される時間、空間。
そこには、人々の生きてきた原風景もある。
そういうものが、わたしの人生の宝物となり、これからのわたしを末永く支えてくれると思う。
リモージュ焼きの陶磁器。
味わい深いアンティークである。
わっと思った。如新香港
なんでわたしの好みがわかったんだろう?
もしわたしが骨董市で見つけたら、いの一番に買っていただろう。
3年前、初めて単独でパリに行ったとき、
何箇所かの骨董市で、数回にわたり、4つの品々を買った。
本の骨董市では、かわいい70年ぐらい前の、レース模様のポストカードも手に入れた。
若い女性が、当時、お友達に送った葉書だった。
ぼってり厚みのある、スペイン風の、黄色い地模様に赤い取っ手のティーカップ。
ソーサーなしで、4個。
金属で作られた、ショッピングバッグを持った女性の立体オブジェ。
金属のガラクタをうまく利用して作られた、オールドクラッシックカーの額面オブジェ。
「リモージュ焼き」とどこにも描かれていない、無名の、やたら高かった「アラジンのランプ」みたいな形の陶磁器。
(あれは、ぼられた感がある・・・)
ひとつひとつの値段の格差は、大きかった。如新nuskin產品
骨董市はクレジットカードでは払えないので、近くに設置されているATMでキャッシングした。
重量と値段はまったく比例していない。
カップはひとつ200円ぐらいだったが、4つもあるので、けっこう重かった。
2つのオブジェはどう見てもスーツケースに入れると壊れるし、国際宅急便で送るにも、箱の手配や梱包が微妙だし。
で、手荷物で持ち帰った。
そしてさらに、アンティークではないが、
帰国前々日に、パリ最古のデパートで見かけた、ゴージャスな花嫁姿のバービー人形もとても欲しかったのだが、
手荷物で持てる範囲のことを考えると断念せざるを得なかった。
ひとりパリ二回目、昨年は、買い物の内容が、ぐっと現実的になった。
たまたま通りかかった教会のチャリティバザーで見つけた、スプリングコート(フランス既製品)。
帰りの飛行機の中で、頭上の機内手荷物入れに入れていたら、
上から、めちゃくちゃ重いバッゲージを乗せられ、もののみごとにぺっちゃんこ。
下に何があるか、ちょっとは考えて、荷物を入れて欲しい・・・。
しかしながら、シワには耐えるということが実証され、かえって重宝している。
旅行中も、帰国後も、ばりばり現役で役立っている。
(とはいうものの、はっきり言って、完全に流行おくれ)如新香港
同じバザーで見つけた、一枚でよかったのだが、6枚でも同じ値段にするからと勧められ、6枚買った、
直径30センチのゴールドの大皿(おそらくプラスチック製)。
出歩き先で買ったので、アパルトマンに持ち帰るのに、最初はどおってことなかったが、徐々に重くなった。
日本へは宅急便にしようと手配したら、サイズ的に入らず、しかたなく買った時のバザーの紙袋のまま、手荷物で持ち帰った。
6枚ものゴールドの大皿、自宅で晩餐会でもするつもりか?
我が家のキッチンにある最下段の食器棚の中で、
毎晩、田舎ねずみと、町ねずみたちが寄り集まって、晩餐会が行われている?
今回、いただいたリモージュ焼きの陶磁器も含め、
わたしのアタマでは、いくつもの舞踏会やらパーティやら、宮中晩餐会や、園遊会が行われている。
映像、音楽まで、ついでにコラボして。
残念ながら、わたしは出てこないんだけど。
まあ、見るだけでも楽しいシーンの数々。(見るといっても、脳内スクリーン)
わたしは、ぜったいに一人遊びができる、と断言できる。
ただ、現実的に、いろいろ無くしたり、もの忘れしたりするので、発言に気をつけないと、
ほんとうにアタマ、大丈夫?と心配されそうだ。
「現実と空想の区別がついていませんね」と、脳神経科の先生に、しぶ~い顔をして診断されそうだ。
・・・
旅先で買ったグッズたちも、雄弁に語りかけてくれる。
晩年の孤独なわたしの時間を癒してくれそうだ。
(今は、ベビーに、これはね・・・、あれはね・・・、と説明しているが、
ベビーはだんだん、見たり聞いたり説明はどうでもよくなって、ベビーを脱却し、
触る、引っ張る、投げつける、引きずる、踏む、壊す、の方向に進んで行っている)
この壊し屋ベビーと、うっとりお目目のわたしとの共存共栄は、もはやありえなく、
ま逆方向にベクトルは向いている。
優雅な空間など、とんでもなく、如新香港
掛け軸、置物、観賞用植物、花、オブジェ、その他すべて、
一切合財の装飾系備品は、撤去。
お気に入りの和紙張りの、床の間サイドの開口部も、
段差を利用し、ギャングの足踏み昇降台と化し、和紙の継ぎ目が、めくれかかっている。
べりりと剥がれる日も近そうだ。
そこが剥がれると、他の床の間全体の壁も、同じ和紙で施工されているので、
全部、取替えということになる・・・・・。
あきらめが、かんじんか。
いやはや、まだあきらめきれない。
孫守のあと、リフォームすればいい、と、人は簡単に言うが。
わたしは、モノや設えに、愛着とこだわりを持っているのだ。
しかしながら、それは果たせないとなると、
自宅は、まったく何も置かない、たんなる生活空間にして、
(あるいは、ぐちゃぐちゃ生活感あふれるカオス空間)
好みのものを美術館や博物館、建造物で、たっぷり見るという方法もありだ。
美の感覚を満たしてくれる空間に、じっと身を置き、アタマとこころに美をチャージするか。
少なくとも、フランクフルトにある素晴らしいゲーテ(詩人)邸を見学した時のような、
最初から最後まで駆け足、というような見方は非常に残念極まりない。
一生で、もう二度と訪れる機会はないと思われる、貴重な当時のままの邸宅なのに、
これまたショップでダッシュ購入したポストカードを見て、あとで思い出す、なんて、わびしすぎる。
・・・
モノと、こころ。わたし、モノ・フェチなんだろうか。
モノだけではない。
癒される時間、空間。
そこには、人々の生きてきた原風景もある。
そういうものが、わたしの人生の宝物となり、これからのわたしを末永く支えてくれると思う。
2014年06月04日
大好きといえども
散歩の帰り道、田んぼにアオサギ?
今晩の夕食は、プチ贅沢な「毛ガニ一杯」
先週生協で申し込んでおいた300g925円(税抜き)の冷凍毛ガニが昨日配達。
解凍方法は一昼夜冷蔵庫で自然解凍と書いてあったのですが天台玻璃屋、一昼夜って?昼と夜と合わせて何時間?一昼夜って時間決まってるの?正確には何時間のこと?と検索してた私でした。
24時間と書いてありましたので、昨日の夜7時に冷蔵庫に入れ、今日の晩ご飯にと楽しみにしていました。
少し遅れて7時半から食べ始めたのですが、毛ガニ一杯いただくのに1時間かかりました。
モクモク、シコシコ。甲羅の中のミソにカニ身をからめて食べるのが大好きです。
大好きだけど、誰かが身だけにしてくれて如新nuskin產品、食べるだけだったらどんなにいいだろ~と思いながら・・・。
1時間もの間、毛ガニを食べ続けることができ、その間お口と味覚は大変幸多かったのですが、正直くたびれました(⌒▽⌒;)
若い時は、疲れなど感じず、スキーに行った先の民宿なんかで、ガンガン食べまくったのにねー。
大好きといえども、去年もこの時期、一度食べたきりですので、1年に1回、毛ガニ一杯って感じでしょうか。
あまりに久しぶりなので、最初カニ身のほじくり方を忘れnuskin 如新、お箸でほじっていて「あ~~イライラする」と思いながら、やっとこ思い出しました。
ああ、そうだった、足の先っちょの尖ったところでほじったらいいのだ!
その後は苛つくこと無く順調にほじってはカニ味噌をまぶし、味噌がなくなったら酢+出汁醤油につけていただきました。
贅沢しちゃいましたワン
ではまた明日香港如新
読んでいただいてありがとうございました。
今晩の夕食は、プチ贅沢な「毛ガニ一杯」
先週生協で申し込んでおいた300g925円(税抜き)の冷凍毛ガニが昨日配達。
解凍方法は一昼夜冷蔵庫で自然解凍と書いてあったのですが天台玻璃屋、一昼夜って?昼と夜と合わせて何時間?一昼夜って時間決まってるの?正確には何時間のこと?と検索してた私でした。
24時間と書いてありましたので、昨日の夜7時に冷蔵庫に入れ、今日の晩ご飯にと楽しみにしていました。
少し遅れて7時半から食べ始めたのですが、毛ガニ一杯いただくのに1時間かかりました。
モクモク、シコシコ。甲羅の中のミソにカニ身をからめて食べるのが大好きです。
大好きだけど、誰かが身だけにしてくれて如新nuskin產品、食べるだけだったらどんなにいいだろ~と思いながら・・・。
1時間もの間、毛ガニを食べ続けることができ、その間お口と味覚は大変幸多かったのですが、正直くたびれました(⌒▽⌒;)
若い時は、疲れなど感じず、スキーに行った先の民宿なんかで、ガンガン食べまくったのにねー。
大好きといえども、去年もこの時期、一度食べたきりですので、1年に1回、毛ガニ一杯って感じでしょうか。
あまりに久しぶりなので、最初カニ身のほじくり方を忘れnuskin 如新、お箸でほじっていて「あ~~イライラする」と思いながら、やっとこ思い出しました。
ああ、そうだった、足の先っちょの尖ったところでほじったらいいのだ!
その後は苛つくこと無く順調にほじってはカニ味噌をまぶし、味噌がなくなったら酢+出汁醤油につけていただきました。
贅沢しちゃいましたワン
ではまた明日香港如新
読んでいただいてありがとうございました。