2014年10月21日

前々から

先週の金曜日。土曜日、日曜日と気温が二十四度にとの天気予報。突然、週末の小旅行を決定した。

前々から、なんとなく近くを通り過ぎるだけだったノルマンディーの海岸部の三つの場所が気になっていた。ル・アーブル、エトルタ、フェカン。本日は、まとまった時間が取れないから電腦椅、少しずつ、旅行記にしようかと思っている。予告編として足早に・・・。

「ル・アーブル」意外とご存じない方が多いと思う。戦後再建された町の中心街は世界遺産なのである。たぶん、世界一ユニークな世界遺産のはず。オーギュスト・ペレと百人の建築家によって1945-1964と二十年掛けて、第二次世界大戦の爆撃により全壊した町が再建された。再建された町自体が「負の遺産」ではないけれど、「負の遺産」の上に建てられた「正の遺産」という二重の意味をどうしても感じてしまう。この鉄筋コンクリートの町並みを見たかったのである。実際の町を歩いてみて、キリコの絵の中にいるような錯覚。それから、すべての建物が、ほぼ同じであるから、建物から貧富の判別が付かない。この均質性に打たれた。五千人の戦死者の慰霊塔でもあるサン・ジョゼフ教会の内部空間。宇宙的な空間だった。過去の町の復元ではなく統一派位、まったく新しいコンセプトの基に近代的な都市が構築された世界でも稀な例なのである。

「エトルタ」私は、フランス随一の観光名所であるエトルタの断崖を一度も見たことがなかった。モネの作品の方も、負けないぐらいに知られている。アルセーヌ・ルパンの作者、モーリス・ルブランが二十年間住んでいた町でもある。奇岩城のモデルがエトルタの断崖なのである。ルブランが執筆していた家も訪ねてきた。畑の中の安ホテルから、車で夕飯を取りにエトルタへ。たまたま一台の車が出た。そこに車を止める。その後、なんとなく真っ直ぐ歩く。あっ、突然の海岸、ライトアップされた断崖。波の音。脳内を駆け巡ったのは、足摺岬という日本語。黄泉の国の入り口に立ったような不思議な感慨。ちょっと康泰領隊、怖くもなった。打ち寄せる波が手招きしているように見えるのだ。そして、聳え立つ断崖。

「フェカン」ベネディクト派の修道院があった町。現在、その修道院跡にべネディクティンパラスという一世紀前の豪奢な建物が建っている。フランスの著名なリキュールのひとつであるべネディクティンの工場。その細部まで装飾で埋め尽くされたパラスを見てみたかったのだ。なんか、イスタンブールに来ているような錯覚。パラスのバーでべネディクティンを試飲した。アル
コール四十三度の二十四の植物のエキスから作られる如新集團、つまり、ベネディクト派が古くから発見していた製法を試行錯誤の果てに再発見したムッシュー・ル・グランの、その執念と、その莫大な富。諸々の思いが頭を過ったけれど、いやぁー、久しぶりに飲んだそれは、実に美味しかった。


同じカテゴリー(日記)の記事
 長亭夕照晚,歲月彈指殤 (2015-09-30 12:20)
 走向了幸福的前方 (2015-09-24 12:53)
 那本子上的名字可還在你的幾 案上夜夜守候 (2015-09-17 16:23)
 當這座城市在積雪的覆蓋下陷入沉寂 (2015-08-07 12:25)
 何か変わると思いますか (2015-06-12 15:29)
 お金儲けではない (2015-03-09 17:33)

Posted by hetinese at 18:22│Comments(0)日記
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
前々から
    コメント(0)